静岡県道77号川根寸又峡線 朝日トンネル廃道 その4

その3からの続きです。

緊迫した崩落区間を無事に通り過ぎると、道は再び平静を取り戻します。
路肩は崩落地手前からコンクリート壁面となっており、それが次のカーブの手前まで続いています。

前回のおさらいです。
それにしても大規模な崩落です。このまま崩落が続くと朝日トンネルにも影響を及ぼすのではないかと少々心配になります。

栗代川の擁壁は、崩落前にも一部区間では採用されていましたが、コンクリートではなく丸石積みになっていました。

カーブ区間が近づいてきました。こちらのカーブには大量の土砂が堆積していました。

河原から、道路上1m近い高さまで、大量の土砂に覆われています。

反対側からの眺めです。川の流れはカーブの外側に進路を取っているので、内側は水流が緩くなり、流されることなく土砂が蓄積されていったのでしょう。

もはや路面と河原との区別がつかない状態です。
道幅からすると中央の木の生えている部分が川と道との境目だったと思われます。

カーブ区間の土砂堆積が落ち着くと、擁壁の丸石積みが再び姿を現しました。

崩落地付近では河原と路面の間の高低差はそれほどでもありませんでしたが、この辺りまでくると、高さを増しています。

上の写真の丸石積みのあたりからカーブ区間を振り返って。
川と道が一体化してしまっているようすがよく分かると思います。

水面との間に高低差が生まれたことで、この辺りまで来ると路面は冠水の被害を受けることは少なくなっているものと思われますが、その代わりに路肩の決壊が頻発するようになります。

こちらはかなり大規模な陥没で、路盤が半分ほど失われてしまっています。

落石よりも倒木が目立つようになってきました。

そしていよいよ現道が見えてきました。栗代橋です。
ここには栗代川という寸又川の支流があり、古来より、寸又峡のある大間へは一旦この栗代川を渡って向かっていました。

ゴールが近づいてきて安堵しますが、やはり土砂崩落は最後まで続いています。

現道は冠水を避けるため、旧道に比べかなり高い位置にルートを取っていることが分かります。

栗代橋のある栗代川合流点手前では、丸石積みの擁壁も二段になるほど河原との高低差が生じています。

そしていよいよ現道栗代橋との交差地点に到達しました。今まで歩いてきた旧道と比べると、やはり現道の高規格ぶりが実感できます。

ところでここまでの区間、ヨッキれん氏のレポートによると、寸又峡温泉開湯三十年記念誌の付表にある「昭和40年10月 栗代橋 下流道路決潰 寸又川に仮道付ける」という記述にみられる桟橋の橋脚跡と疑定される橋脚跡が見られるはずなのですが、上の写真、最も栗代川に近い部分にあるものが見られるだけで、他の橋脚跡は確認することができませんでした。

形状的に洪水時に流路の妨げともなりかねないので人為的に破壊されたのか、それとも土石流によって自然破壊したのか、あるいは土砂に埋もれてしまったのかは分かりませんが、とにかく注意深く観察しましたが、それらしいものは見当たりませんでした。

旧道は現道の栗代橋と交差し、栗代川をわずかに上流で渡っていました。立派な現栗代橋の橋桁と交差する道を進みます。

栗代橋の脇は側溝になっており、朝日トンネルからの湧水が排出されているものと思いますが、かなりの水量なために道路一面がさながら池のようになってしまっています。

訪問時は入梅前の春の終わりの時期ということもあり、池には大量のオタマジャクシが気持ち良さそうに泳いでいました。

池を越えると道は右にカーブを描き栗代川に突き当たります。

かつてはここに栗代橋が架橋されていたのですが、大間橋同様、新道建設にあたり撤去されてしまっていました。

大間橋同様、親柱など端の痕跡は一切残されておらず、特にこちらはガードレールで封鎖される処置さえ施されていません。

対岸の橋台です。
こちらは橋台自体も崩壊が進んでしまっています。後背の斜面を見ると、金網で養生されているものの、それ自体が破られて崩落が進んでいるので、その影響を受けたのかもしれません。

橋の先にはまだ廃道が続いています。
よく見ると現道と旧道の間には、栗代橋の橋台部分でもなお高低差があることがわかります。

栗代橋より奥泉側は下部の擁壁が斜面上に施工されているのに対し、上部の擁壁は垂直に施工されています。
もしかすると、現道はこの部分で嵩上げを行ったのかもしれません。

嵩上されたと思われるラインの先には、曲線改良された跡がみられます。
これは後で辿ってみることにして、まずは現道に復帰します。

幸い朝日トンネル側の栗代橋橋台部分には階段が設けられており、容易に現道へ戻ることができます。

朝日トンネルの栗代側坑口です。
栗代橋と直結しています。

こちらの銘板も、大間側と全く同じものが掲示されていました。

朝日トンネルは地形図によると微妙に緩いカーブを描いており、その通り大間側の坑口を直接見通すことはできませんが、薄ぼんやりと陽光が差し込んでいるのは辛うじて確認できました。

現橋の栗代橋です。
途中に集落もなく、徒歩による通行は全くといって良いほどないため、歩道は設けられておらず狭い路肩を歩くしかありません。

右岸上流部には「くりしろはし」の銘板。
写真は割愛しますが、右岸下流部には「栗代川」、左岸上流部には「平成2年3月完成」、左岸下流部には「栗代橋」、の銘板がそれぞれ掲げられています。

栗代橋の銘板です。
細かな仕様が記載されています。朝日トンネル同様、間組の手になるもののようです。

次回は曲線改良のあとを辿りたいと思います。

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