川角トンネル廃道 その3

前回からの続きです。
川角トンネル廃道を訪問したのが2014(平成26)年の9月。それから4ヵ月後の12月に、どうしても気になって仕方が無いので、旧図版にみられた林道小田線とは異なるルートを取る徒歩道の痕跡をたどってみようと再訪しました。
今回からは、そのときの状況をご報告いたします。

国道473号との分岐点です。
現在国道は緩やかなカーブの川角橋で大千瀬川を一跨ぎにしていますが、前回も引用した地形図の通り、旧県道時代には、道は真っ直ぐ進み、ちょうど画面中央のガードレールから分岐している道筋を真っ直ぐたどり、現道より一段低い箇所で川を渡っていました。

国土地理院発行 1:25000 「三河本郷」(昭和58年9月発行) より引用

林道小田線の全身にあたる徒歩道は、その更に手前から分岐し、上川角集落の南側を貫くように進んでいました。右側の細い道筋がそれにあたるものです。

軽自動車がやっと、という幅の道が集落の中心を直線的に進んでいます。

しばらく進むと、どうやら個人宅の敷地にそのまま入り込んでしまうようでした。
これ以上の進入は控え、反対側へと回り込んでみます。

反対側へやってきました。上川角集落南端の小川には橋が渡されていました。端の向こうは道といえば道ですが、個人宅の庭先といえば庭先ですし、微妙な感じですので、やはりこれ以上の進入は控えたほうがよさそうです。

林道小田線と旧道の交差地点。こちらは北側(集落側)です。

反対側(南側)は林道とは反対に下り勾配で川沿いに道跡が付いています。前出の地形図でも交差地点から先は川に沿うような進路で描かれているので、そのまま踏み跡を頼りに進んで行きます。

樹林の中に、旧道が杣道のように続いています。

かなり川が近づいてきました。地形図ではこの先あたりから徒歩道は崖地記号の上を往くように描かれていますが、それに比べると少し下がりすぎな気がします。

更に歩を進めると、いよいよ道形が消失してしまいました。
実はこの斜面の上部、林道脇には作業場跡のようなものがあり、そのスペースを設けるために粗く盛土がされていたので、その影響でもともとの地形が大きく変わってしまっているようです。

完全に進路を見失いつつ、崩れかけたような盛土の斜面をとりあえず進んでみます。

盛土区間を抜けて本来の地盤が露出している場所まで来ましたが、踏み跡はあるのですが、それを道と呼んでよいのか、というレベルのものでしかありません。

なんとなく道があるような無いような…。
徒歩道レベルなので、正直なところここが正しいのか自信が持てませんし、上下を見ても平場や踏み跡らしきものが存在する気配もないので、とにかく進めるところまでは進んでみることにしました。

川の音が近くに聞こえるのでふと見下ろすと、いつの間にか川側は崖といってよい急傾斜になっていました。
地形図では崖地記号の上に道が描かれている場所ですし、現林道との間にそれほどの距離がある訳でもないので、この辺りに道があったのだろう、と相変わらず不確かなまま歩を進めました。

小さな沢に突き当たりました。見上げると林道のコンクリート桁橋とガードレール。
両岸をつぶさに見渡して自分の立ち位置でない場所に平場があるのではないかと上のほうまでよじ登って探してみましたが、両岸とも急傾斜の崖地になっているので、やはり徒歩道の跡は判然としません…。

写真がブレてしまっていてお恥ずかしいのですが、僅かにそれらしき平場を見つけたので、そこへ分け入ってみました。
左側は完全に崖になっており、大千瀬川の川床が間近に迫っています。

しばらくすると、突如視界が開け、目の前にこのような光景が現れました。
「すわ、片洞門?」
と興奮しましたが、写真ではスケールが伝わりにくいですが、路盤に見える平らな部分と洞門らしき部分との高さが1m足らずでといったもので、道かどうかかなり怪しい状況でした。下端の切れ込みも掘削したにしては異常に深いので、単純に地層の脆いところが風化しただけにも思えますが、上端は掘削したような形状をしているので判断に迷うところです。

一応平場らしき部分まで進入して確認しようかと思いましたが、そこへいた至る僅か2m足らずの距離に、手掛かりがなく到達できません。
無理をすればたどり着けるのでしょうが、立つこともできないような場所、しかも幅も非常に狭く見るからに滑りそうな岩盤なので、進退窮まる危険が高かったこともあり、ここは大事をとって進入は諦め、一旦川床へ下りて迂回することにしました。

川床はスラブのようなしっかりした岩盤になっていました。
この周辺には中央構造線が通っており、川床は領家変成帯と呼ばれる花崗岩質の固い岩盤となっています。
そして川角の山は川角層と呼ばれる主として砂岩で構成された層に覆われており、今回の徒歩道の道筋は丁度その境目にあたるため、川床は硬いスラブのような構造であるにも関わらず、山は崩れやすくなっているようです。

全体的に凹凸が少なく濡れており、苔なども生えているので非常に滑りやすく、見た目以上に歩行には注意が必要でした。

さらに進んだところで上方を見上げてみます。
完全に壁といってよい崖です。とても道があったとは思えません。もしかしたら桟橋などがあったかもしれませんが、クライミングの経験と装備でもなければそれを確かめることもできません…。

空しくなりながら、上方に目を配りつつ川床のスラブを進みます。

しばらく進むと、巨岩の先に崩落の跡のようなものが見えてきました。
巨岩のある場所も平場に見えなくも無いのですが、この位置関係だと地形図に比して低すぎます。
もちろん道はひとつではなかったのかもしれないので、ここもかつての道であった可能性を否定することはできないのですが、何しろ決定的な証拠となる遺構が何一つ無いのが歯がゆいところです。

今までの一枚岩の地形とは打って変わって、大小の崩れた岩が散乱しています。
ここは谷になっており、上部からの崩落石が堆積しているのでした。

沢を見上げると、見覚えのある光景が。
川角トンネル手前の擁壁です。林道から川側に移動してからここまでの間、ろくな成果もなかったので、かなり気を落としつつそびえ立つ擁壁を眺めていると、右側に怪しい何かを発見しました。

もしや、と思い斜面を登り詰めてみると…。

ありました。ほぼ垂直な崖に不自然に削られた一筋のライン。

これは間違いなく自然の侵食ではなく人の手が入った形状。
片洞門だ! と確信しました。

上にガードレールが見える通り、ここはちょうどトンネル手前の駐車スペースの直下です。
前回まで二回ご紹介した川角トンネル脇の廃道を訪問したのは晩夏のことで草葉に隠れて気がつきませんでしたが、まさか自分が車を停めて探索の拠点にしていた足下にこんなすごいものが潜んでいたとは不覚でした…。

谷から平場までは1mほどの段差があり、ちょっと登りにくかったのですが、木の根と幹を頼りに力任せでよじ登り、路盤に到達しました。

幅は1mもないくらいですが、明らかに道の様相です。黒部峡谷の水平歩道をイメージさせるような光景です。

振り返って。恐らく道は谷を巻くように進み、前回までご紹介した廃道へと続いていたのでしょうが、今は愛知県林道一とされる巨大な擁壁に飲み込まれ、途絶してしまっているのが大変残念でなりません。

うっとりするような素晴らしい光景です。片洞門というよりは、へつり道と言ったほうが相応しい佇まいです。
風化の度合いからすると、かなり古くから築かれていたように感じられます。

10mたらずで崩落して土砂が流れ込み、枯葉が堆積していました。
この先は川床を歩いている間、ずっと上方を凝視していたのでどうなっているかは大体想像がついていましたが…。

ごっそり崩落していました。完全にここで終了です。

向い側には庇のように岩が張り出しています。
以前はその下にも路盤が続いていたのでしょうか。いずれにしても、ここから現林道との分岐までの間はこのような崖地が続いているため、地形図に描かれていた徒歩道がこの道だったのかはわかりませんし、もし道であったとしても林道開通から30年ほどでここまで跡形もなく崩れるというのも少し納得がいかないのですが、少なくともこの一角に関しては、いつの時代のものかはともかく「かつて道であった」と判断してよいと思います。

思わぬ遺構との邂逅に感激しつつ、来た道を戻ります。

川床からは15m以上はありそうです。
もしこの状態でかつて集落まで道が続いていたとすると、かなりの難所であったことが容易に想像できます。

一旦来た道を戻り、擁壁の上から片洞門を見下ろしてみると、へつり道が擁壁に飲み込まれている様子がよくわかります。
しかし、短いながらも明らかに人為的に刻まれた道の痕跡がしっかりと感じられます。

こちらの区間も、前回同様ヘッドストラップにGoProを装着して撮影してみました。
懸崖に穿たれた片洞門の迫力をお伝えできればと思いますのでご覧いただけましたら幸いです。

それでは改めて地形図で振り返ってみます。

国土地理院発行 1:25000 「三河本郷」(平成6年12月発行) より引用

現行図版に徒歩道を紫色で、川角トンネル脇の廃道と今回の片洞門を赤色で記してみました。

トンネル部分を拡大してみます。
どう見ても点線の徒歩道とはかけ離れているのです。
さりとて地形図には崖地記号の上を通るように描かれているものの、現況を見る限り崖地には痕跡が殆どみられませんし、川角トンネルの廃道と今回の片洞門は明らかに場所も違えば標高も異なります。

図上の徒歩道を見ているとかなり川床に近く低い場所にあったようなのですが、その位置は今回迂回したスラブ部分にも思えるので、果たして本当に旧図版の通りの道が存在したのか。はたまた実際には片洞門のある高さに道が続いていたのが崩落して消失したのか、全く迷宮入りになってしまいました。

当時を知る方がいらっしゃれば、是非お話を伺って林道開通前の道の状況について確認してみたいところです。
これらもこれらの片洞門群については、引き続き調査を続けたいと思います。

次回は川角トンネル南側の先、現林道と合流するまでの沢筋に沿った徒歩道の痕跡を探ってみます。

つづく。

 

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