川角トンネル廃道 その2

その1からの続きです。

崩落地を越えると前方に見事な光景が広がっていました。
片洞門です。

片洞門というには少し掘りが浅く見えますが、懸崖を穿ち道を通した先人の努力に、ただただ息を呑むばかりです。

路肩が崩落したのか、一部は桟橋だったのか、それとも元からそうであったのかは分かりませんが、これまでに比べて幅員は非常に狭くなっています。

実際に歩いてみると、遠くから見るよりはかなり上部が迫り出していることが分かります。

振り返って。奥の道や斜面と手前の片洞門区間を対比すると、ここまでは平場を確保できるだけの緩斜面だったのが、ここへきて急斜面の岩盤となり、岩を掘りぬくほか無かったというように感じられます。

行く手には若干の土砂崩れ。巨木が倒れたのか大きな木の根が天を突いていました。

10mあるかないかといった程度のごく短いものではありましたが、見事な片洞門に感動しつつ、朽ちた木の根を乗り越えた先に私を待ち構えていたものは…。

もうひとつの片洞門でした。
こちらはさらに距離が短く2~3m程度のものですが、上部の迫り出しは先ほどの区間よりも大きく、迫力があります。

この辺りは先ほどの片洞門の区間よりは幅員が広がっていますが、荷車を通せるかどうか、という微妙な幅。そして谷側はほぼ垂直の崖です。

下から見上げてみました。
行く手に立ちはだかる岩塊の大きさと、それを削って切り開かれた道。

第二の片洞門を過ぎると、前方に白いものが見えてきました。
林道小田線、川角トンネル北側坑口手前のガードレールです。

終点が近づき、名残惜しくて改めて振り返ります。
何度見ても息をのむ見事な道です。

ほぼ平坦な道を歩いていたように感じていましたが、林道との間にはずいぶんと比高差がついており、城壁のように擁壁が立ちはだかっていました。路盤の位置からだと5m程度はありそうです。

崩土などである程度までは高さを詰められますが、最終的には約1mほどの足がかりのない段差が待ち構えているので、ここはガードレールを握り締めて腕力ひとつで強引によじ登ります。

ちなみにこの擁壁もまた、その1でもご紹介した愛知県林道協会が1988(昭和63)年11月に発行した「40周年記念誌 40年のあゆみ」のギネスコーナーに登場しています。
今はどうか分かりませんが、1988年当時は最も高い10.3mの壁高を持つ擁壁だったようです。
これだけをとってみても、いかに急峻な場所に道が造られたが分かります。

40周年記念誌 40年のあゆみ (1988年 愛知県林道協会編 愛知県図書館蔵)
49ページより引用

この区間については、ヘッドストラップにGoProを装着して撮影してみました。
全編通して10分ほどと少々長いのですが、廃道の雰囲気をお伝えできればと思いますのでご覧いただけましたら幸いです。

 

それではここから地形図で川角トンネル周辺を見てみましょう。

まずは現行図版となる平成6年版。

国土地理院発行 1:25000 「三河本郷」(平成6年12月発行) より引用

赤字で記したU字の部分が、前回、今回と二度にわたってご紹介した旧道区間です。見事に隧道を迂回するように道が通っていることが分かります。

ところがここから前の図版をたどっていくと、ちょっと厄介なことになってくるのです。

国土地理院発行 1:25000 「三河本郷」(昭和58年9月発行) より引用

現在の林道小田線は1978(昭和53)~1979(昭和54)年頃には整備が進められていたため、該当する道は既に図上に姿を現しているのですが、まだ整備中のためか途中の並行する谷が二股に分かれるあたりで途切れてしまっています。

そしてそれとは全く別のルートで、徒歩道が谷伝いに延びているのです。
この徒歩道は谷を二股に分ける尾根を直登し、その上部で現在の林道小田線のルートと合流し、海老嶋へ向かって続いています。そして、現在の川角トンネル南側坑口から山へと登る徒歩道も描かれています。

また、この頃には県道本郷佐久間線(現国道473号)の川角橋が現在とは異なる位置にあり、架け替え前の状態であることもわかります。

国土地理院発行 1:25000 「三河本郷」(昭和47年12月発行) より引用

さらに一世代前、1972(昭和)47年の図版です。
林道小田線は影も形もなく、大千瀬川沿いを進み途中の谷筋へと分け入る徒歩道だけが描かれています。

林道小田線は、前回と今回、二度に分けて通ってきた片洞門のある愛おしい旧道を改良して築造されたものと思いきや、実はそうではなく全く新規に造られたようなのです。

それにしては川角トンネルの旧道はかなり古くからの道のように見受けられるので、図上の該当する位置に線形が描かれていないというのも腑に落ちないところです。

正直なところ今回、前回で触れた旧道とこの地図に記された徒歩道については、今の段階では記述された資料を見つけられず全く素性が分からない状態なのですが、ひとまずは地形図を頼りに、林道小田線の本来の旧道と思われる徒歩道のルートを、次回から追ってみたいと思います。

 

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