湯ノ口温泉(紀州鉱山)のトロッコ列車

紀伊半島南部の山間は、三重県と和歌山県、奈良県とが境を接し、古くから熊野詣で栄えてきました。
周辺一帯は「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004(平成16)年にユネスコ世界遺産に登録されて脚光を浴び、今も熊野古道巡りなど多くの観光客で賑わっています。

熊野本宮大社周辺には、川床から源泉が湧き出し川を掘っての入浴を楽しめる川湯温泉や、2~3人で一杯になる小さな岩穴に足元から源泉が湧出し、世界遺産としても登録されている「つぼ湯」のある湯の峰温泉など、多くの温泉が湧出しています。

熊野市から熊野本宮大社へ向かう国道311号、三重県熊野市紀和(旧南牟婁郡紀和町)にも、湯ノ口温泉と入鹿温泉の二つの温泉があり、名勝瀞峡に近い入鹿温泉の瀞流荘という旅館から山の向こうにある湯治宿の湯ノ口温泉までの間に、トロッコ列車が運転されています。

かつてこの地には紀州鉱山と呼ばれる銅鉱山群があり、古くは700年代より銅を産出し、奈良の大仏建立の際に献上されたとも言われる歴史を有しています。
鉱山は1978(昭和53)年に廃鉱となりましたが、当時使用されていた鉱山軌道が残存していたことから、1987(昭和62)年より観光用トロッコとして試験的に運行を開始し、1989(平成元)年から通年運行されるようになりました。

紀州鉱山については、歴史が古く残された遺構も多いことから私自身まだ全くといってよいほど現地踏査や資料調べなどをしていないので、今回はこのトロッコ列車に絞ってご紹介したいと思います。

今回は、入鹿温泉瀞流荘へトロッコ列車と湯ノ口温泉入浴券のついたプランで宿泊したので、このような乗車券と入浴券がセットになったチケットがもらえました。
瀞流荘から湯ノ口温泉への最終列車は16時発でチェックインから時間があまり無かったので、湯ノ口温泉へ行くのは翌朝にして到着日は最終列車が瀞流荘駅に戻ってくる時間に見学することにしました。

瀞流荘の裏手には、真新しい「瀞流荘駅」というトロッコ列車用に建てられた真新しい駅舎があります。
ここは鉱山軌道時代には小口谷という駅が設けられていた場所です。

瀞流荘駅(小口谷)から湯ノ口方面を臨んで。
欠円アーチの隧道が一直線に続いています。

そうこうするうちにゴーという音が隧道の向こう側から響き、木造の小さな客車を5両繋いだバッテリー車がやってきました。

駅のホームは観光用に整備されており、鉱山軌道には似つかわしくない少々モダンな佇まい。
ただ、他の観光地でよく見られる観光用のトロッコとは異なり、ここのトロッコは正真正銘本物の鉱山客車という本格派です。

翌朝、始発列車の発車より早めに駅に行って列車を見学します。

ヤマを支えてきた風格と力強さを感じさせる、簡素で無骨な佇まい。
車輪は二軸で照明は白熱灯一灯。連結器はシンプルなリンク式。緩衝器が当たるからか連結器脇は黒い塗装が剥げています。

鈍い金属光沢がメカ好きの心をくすぐる、「日本輸送機株式會社」の銘入りのマスターコントローラー。
ブレーキは手回し式です。

客車は木造。かなりしっかりと整備されています。端面には補強のために斜材が渡されているのが面白いです。
緩衝器は古タイヤを流用したと思われるゴムのカバーで覆われています。

列車の最後尾から後ろを眺めると、線路は続いており、隧道の中へと消えて行きます。
この隧道は山の向こうの選鉱場まで続いていますが、現在は柵が設けられており、車庫として利用されているようです。

車内。
天井は低く、身を屈めないと頭がつかえてしまいます。乗り心地の悪さを少しでもカバーするためか、木製の椅子には座布団が用意されていました。
木製の扉はもちろん手動で、引き戸を開けるとガラガラと懐かしい音が鳴りました。

出発の時間になりました。
運転係の方に許可を頂き、機関車の前頭部にカメラを設置することができたので、前面展望動画を撮影しました。少々長いですがご覧ください。

汽笛一声出発すると、ガタンと衝撃がして列車が動き始めます。
軸間が短く木造で軽い二軸客車なので、線路の凹凸などがダイレクトに伝わってきて、とてもよく揺れます。

線路はほぼ直線で、しかもすぐに隧道に入ってしまい基本的には暗闇の中を走るので、観光用としては少し物足らなさを感じる向きもあるかと思いますが、私のような鉱山好きにとっては、まるでこれから切端へ一仕事しに行くような高揚感に包まれ、とても楽しい体験となりました。

終点の湯ノ口温泉駅。
ここにはかつて鉱山軌道時代に湯ノ口駅があり、モダンな雰囲気の瀞流荘駅とはうってかわってかつての面影を感じさせる佇まいです。

ホームは川のある谷に開けたごく僅かな明かり区間の橋の上に、緩やかなカーブを描いて設けられています。
写真の後ろ方向に温泉宿の建屋があるのですが、かつてそこには高山事務所や車庫、引込み線が設けられており、その名残の引上線がごく僅かですが残されていました。

現役時代は、手前側からホームとは別に橋を渡り、右手の隧道前にも線路が伸びていて、デルタ線を形成していたそうです。

温泉はナトリウム・カルシウム-塩化物泉で、若干の濁りのある湯は薄塩味に少しえぐみが混ざった感じ。
かなり湯量が豊富でザバザバと掛け流されており、非常によい湯でした。

一風呂浴びて帰りの列車を待つ間にバッテリー車を観察。
機器が剥き出しになった運転台に、実用一辺倒の「道具」としての美しさを感じるのは私だけでしょうか。

側面には「YUASA STORAGE BATTERY」の銘板がありました。蓄電池の銘板のようです。

今は使われていない惣房、上川方面へ向かう隧道。
この隧道の向こう側は今どうなっているのでしょうか。改めて訪問してみたいものです。
デルタ線の形跡が残っていて、坑口は入口が広く造られています。

振り返って湯ノ口の駅に停まるトロッコ列車を。
ホームに設置されたゴミ箱と踏面が新しくなっているのを除けば、往時の光景を思い起こさせる素朴な佇まいです。

引込み線の名残りの引き上げ線。

湯ノ口側の坑口は比較的新しくコンクリートで補強されており、断面が楕円形になっています。
10メートルくらい先からは昔ながらの欠円アーチです。

まっすぐと、どこまでも続いてゆくような錯覚をさせる隧道。

反対側の坑口は上部だけが見えており、拝み勾配になっていることが分かります。

帰路はバッテリー車のすぐ後ろの客車に乗ることができたので、走行中の車内から一枚。
淡々とバッテリー車を操作する運転係の方の格好良さといったらもう。

瀞流荘駅に戻ってきました。
ホームの手前には、自転車を改造したレールマウンテンバイクが置いてありました。

予約制で、トロッコ列車運転の合間に二台並列になったマウンテンバイクを漕いでトンネル内を走行することができるそうです。
手前はオプションの牽引車。こういう乗り物で隧道の冷気を感じながら走るのも、また面白いかもしれませんね。

瀞流荘駅到着後の機回し。
やっぱり「カッコいい」という言葉しか浮かびません。

瀞流荘から車で10分足らずの場所に、選鉱場の跡があります。
下の広場からはインクラインの跡とコンクリート柱、石垣のみが見えますが、頂上付近にはシックナーの遺構も残存しているそうです。

 

立ち並ぶコンクリート柱が古代遺跡のようにも見えてきます。

そして選鉱場の傍らには瀞流荘から続く鉱山軌道の終点にあたる坑口が残存しています。現在トロッコが営業している区間は断面が欠円アーチですが、この坑口は円形になっています。
内部は真っ暗でフェンスで立入禁止の措置が取られているので状況はよく分からないのですが、恐らくは今も貫通しているものと思います。

選鉱場の近くには「紀和鉱山資料館」があり、紀州鉱山の歴史に触れることができます。
資料館とトロッコ列車、温泉をセットにすると、一日では足りないくらい楽しめます。東海・近畿圏以外からはなかなか遠い場所ではありますが、周辺には世界遺産の観光地や千枚田など他にも見所が沢山ありますので、是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
場所はこちら。


大きな地図で見る