国道153号 足助大橋

豊田市足助町、かつての東加茂郡足助町は、古くから塩の道として栄えた三州街道(飯田街道)の宿場町として発展してきました。
巴川とその支流足助川を挟んで今も古い町並みが残り、秋には巴川沿いに広がる香嵐渓の紅葉に多くの人が訪れます。

豊田から飯田へ向けて北上すると、巴川を渡り足助の町への入口となる場所に古びたコンクリート桁橋があります。足助大橋です。

足助から豊田方向を臨みます。
両脇に立派な親柱が立てられ、足助大橋の名に恥じず二車線が確保されており建造当初はかなり広い道だったのでしょうが、さすがに現代の交通では歩道のスペースが確保できないので、下流側には人道橋が別に架橋されています。

足助大橋の見所はこの欄干。
巧みにアーチを組み合わせたデザインが85mの橋長を飾ります。

さすがに1930(昭和5)年の建造なのであまり長い径間が取れなかったのか、川には橋脚が七脚設けられており、一径間は10mほどとなっています。

秋の紅葉シーズンには観光客による大渋滞が引き起こされるため、2010(平成22)年10月には足助バイパスが開通し、狭い足助の町を通らずに飯田方面へ抜けられるようになりました。
バイパスに国道としての主役を譲ったとはいえ、街の中心へ向かうためにはまだまだ現役でかなりの交通量があります。

親柱をチェック。まずは左岸下流側。
頂点部分にはなにやら鉄筋のようなものが見えますが、かつては照明など設けられていたのでしょうか。

角に車が衝突したのか、所々に補修された跡がみられます。

タイル製の銘板には「あすけおうはし」と書かれています。「おおはし」ではなく「おうはし」。

左岸上流側です。
橋台が川へ張り出しており、親柱の手前、橋台部分の欄干にもミニ親柱が設けられています。

「昭和五年九月改築」とあります。建造ではなく改築。
国土交通省中部地方整備局の「橋梁の長寿命化修繕計画リスト」には供用年が1930年と記されているので、この「改築」は旧橋に対して改めて築造された、という意味ととらえるのが適切なのでしょう。

続いて右岸下流側。この柱だけ、上部構造がありません。
もともとそのような設計だったのか、あるいは事故などで欠損したものをこのような形で修復したのか・・・。
銘板は「巴川」。

最後に右岸上流側です。
こちらも親柱より手前側にも欄干が伸びていたようですが、すっぱり切り落とされてしまっています。

他の三つの銘板とは異なり太く力強く「足助大橋」と書かれています。

 

橋脚は二連アーチ。
このアングルから眺めると、欄干のアーチとの組み合わせが絶妙で、コンクリート桁橋ながら実に繊細な印象を受けます。

川原に下りてみました。
上から眺めていると頑強に見えた橋脚も、横から眺めてみると意外と細く感じられます。

先にも少し触れましたが、国土交通省中部地方整備局の「橋梁の長寿命化修繕計画リスト」に記載されている通り、80余年の風雪に耐えてきただけあって、一部は鉄筋が露出するなどさすがに老朽化が進んでおり、2015(平成27)年には修繕工事が計画されているようです。

バイパスも開通し、本格的な架け替えということには暫くならなさそうなので、しっかりとした修繕工事を受けていつまでもこの優雅さを保ってほしいものです。


2014年11月30日追記:

愛知県図書館で資料を検索していたところ、足助大橋完成当時の写真が見つかりまししたので引用いたします。


建設のあゆみ その1 (1979年6月 愛知県土木部編 愛知県図書館蔵)
7ページより引用

おそらく足助方向から豊田側を写したものと思われます。「昭和5年10月2日撮影」の注記がありました。同年9月の竣功直後の撮影です。
親柱の頂点部分には球形の照明灯が設けられていたこと、現在歩道橋がある取り付け部分は、当時は扇形に広がっていたことがわかります。また、非常に小さくしか写っていないので分かりにくいですが、現在上部構造がない右岸下流側の親柱も、竣功当初は他の柱と同じデザインであったことがわかります。

親柱はかなり変貌してしまいましたが、交通量の多大な橋であるにも関わらず、橋梁全体としては竣工当初よりほぼ変化していないことに、少々驚きを感じました。

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