山梨県道23号韮崎増富線 塩川ダム廃道区間 その4

その3からの続きです。

本谷橋まで戻ってきました。

実は2014(平成26)年4月の探索時はあまり下調べをしていなかったのと、水没区間と付け替え区間がごく自然なカーブで続いてしているように見えたので、てっきりここが合流地点だと思っていました。
ところがその後塩川ダム関連の資料を調べていたら、実際には元々の県道は上の写真の左手から来て一旦この付け替え道路を横断し、本谷川側へはみ出して急カーブを描き、付け替え道路のカーブの先、小さく矢印看板のある見えるあたりで右手から合流していたことがわかりました。
よくよく写真を見返すと、たしかに本谷橋の橋台と塩川方面への廃道の石垣との間には若干の高低差があったのですが…。

下図はその決め手となった、前出の「塩川ダム建設工事図面集」です。
周辺一帯で行われる補償工事を一枚の図に記した「補償工事概要図」に、その記述がありました。

塩川ダム建設工事図面集 (1999年3月 山梨県大門・塩川ダム事務所編 すたま森の図書館蔵)
162ページより引用

これを見ると、補償道路は本谷橋終端ではなく一旦県道と交差して、その更に先で合流していたことがわかります。

塩川ダム建設工事図面集 (1999年3月 山梨県大門・塩川ダム事務所編 すたま森の図書館蔵)
166ページより引用

本谷橋の図面で右岸側橋台付近を見てみると、橋桁計画線のごく僅か下部に、平坦な県道の路盤がみてとれます。

続いて平面図で。

塩川ダム建設工事図面集 (1999年3月 山梨県大門・塩川ダム事務所編 すたま森の図書館蔵)
166ページより引用

こちらの方がかなり分かりやすいですね。県道が明確に図上に記されています。
本谷橋の右岸橋台は、元の県道の路盤のちょうど真上にあたる位置に設けられていることがわかります。
橋の下に三方が切土に囲まれた水路のようなものが描かれていますが、これが前回最後にご紹介したアーチ状の暗渠と思われます。

このことが分かると、ここまでこの道のことを調べておいて数十メートルとはいえ歩き残しがあるのが癪なので、2014(平成26)年6月に現地を再訪しました。本来は旧町道の方へも行ってみたいところでしたが、アプローチするまでの間の草木の多さにうんざりしたのと、雨模様だったので川を渡るには少々リスクがあるため断念しました。

時期が違うので、これまでの写真とは異なり緑が多く茂っています。

本谷橋の橋台。手前にはジョイントが見えています。旧県道はこのガードレールの先に延びていたようです。

カードレールを乗り越えて茂みに入り込むと、路肩が崩壊していますが、たしかに舗装されていたような跡が見られました。

しかしそこから増富側への進路を見ても、もはやただの平らな森にしか見えません。
やはり葉の茂る時期はこういう探索には非常に不向きですね。

仕方が無いのでそのまま平地を進んでゆくと、わかりにくいですがかつて擁壁だったと思われる断面がみえました。

そして最終合流地点にきて、ようやくここが道であった証であるガードレールの支柱が数本残っているのを発見して何とか溜飲を下げました。

合流地点。
事情がわかっていれば、増富側から下って探索した折にもこのカーブが新しいものであることにはすぐに察しがついたと思いますが、現状でもほぼ違和感のない線形なので全く気が付きませんでした…。
緑の少ない時期に改めて訪れて、もう少し痕跡がないか調べてみたいものです。

 

それでは、残された橋台の先の旧町道を県道側から観察してみましょう。

通仙峡トンネルを越えて通仙橋まで戻ります。
何度も出てきているこの塩川トンネルと通仙峡トンネルとの間の直角カーブから日向へ向かうスーシェッドに覆われた現県道23号が、旧町道増富塩川線が改良された昇格した区間となります。

そしてその通仙橋から下流の本谷川方向を眺めてみると、明確な道形が残されているのが良く分かります。

ガードレールと高い石垣、そして先に見た橋台と同様、比較的広い幅員をもった路盤の跡が観察できます。

こちらのほうはあまり斜面崩落などは見られず、比較的状態よく残されているようです。
ただ、そこへ行くまでが少々面倒で私もまだ到達していないわけですが…。

丸石積みの立派な石垣とそれに華を添えるガードレールとの組み合わせに、しばし見惚れてしまいました。

現道との位置関係です。
彼我の距離は6~7mといったところでしょうか。残念ながら通仙峡トンネルの坑口付近はほぼ切り立った崖になっていて、梯子など下へ降りられるようなものが見あたらないので下りる術がありません。

ガードレール支柱の基礎が破壊されて転がっています。
丸石積みの擁壁が途中から間知ブロック擁壁へと切り替わっているので、おそらく橋の基礎やトンネル工事、町道の嵩上げなどを行うにあたり、この辺りからが施工範囲となったのでしょう。

そぞろ歩くには、なかなか良さそうな廃道なのですが…。
やはりいずれ橋台側からのアプローチを試みてみたいと思います。

現県道側は完全に嵩上げが行われて上書きされているため、旧町道の痕跡は見当たりません。
こちら側にも階段など沢へ下りる手掛かりはなく、ただ垂直な擁壁が続くばかりです。

塩川トンネル。
歩道は南側に設けられており、上の写真は塩川側から増富方面を向いています。みずがき湖ビジターセンターから通仙峡への観光客も見込まれることからか、歩道はわりとゆったりとした幅になっています。
また、安全面を考慮してか車道面からは1mほど高い位置に設けられています。

塩川トンネルの塩川側坑口です。
こちらは谷間にある通仙橋側とは異なり、陽光が降り注ぎ実に心地がよいです。

銘板です。

塩川トンネル
1989年11月
山梨県
延長 593m 巾5.5m 高4.7m
施工 株木建設(株)・国際建設(株)JV 清水建設(株)・長田組土木(株)JV

と記載されていました。
ダムの全体工事の完成は1999(平成11)年の6月で、1989(平成元)年11月というと、ビジターセンターのある左岸遮水工は着工していましたが本体工事は未着工の時期だったので、比較的早期に完成していることになります。

最後に増富大橋から今回辿った道を眺めて見ましょう。

新しい割には若干幅員が狭いかな、と感じる増富大橋。
県道610号の鹿鳴峡大橋が幅員7mなのに対して、こちらは5mとなっています。

橋上から廃道を遠望します。
歩いているときにはあまり感じませんでしたが、引いてみてみると意外と勾配がついていました。

もともと険しい地形に通された道であることが、コンクリート吹付の連続する法面から改めて感じることができます。

宙に浮くガードレールもよく見えます。

水面に沈み込み、徐々に輪郭が曖昧になり消えてゆく道。
やはり感じるのは、切なさ。

(了)

 

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