消えゆく下諏訪町大社通りの火の見櫓

長野県下諏訪町は、諏訪大社下社が鎮座する門前町です。
中山道と甲州街道が合流し、温泉が豊富に湧出する宿場町としても古くから栄えてきました。

そんな下諏訪町の現在のメインストリートである大社通り。
諏訪大社下社秋宮の参道として、秋宮の鎮座する山王台と呼ばれる高台から街中へと下る坂の下、国道20号が甲府方面から塩尻方面へ90度向きを変える「大社通り」交差点の傍らに、高くひときわ目立つ火の見櫓があります。下諏訪町消防団第三分団の火の見櫓です。

下諏訪町のシンボルともいえるこの櫓と屯所が撤去されるとの情報が、2014(平成26)年5月15日付の地元新聞紙「下諏訪市民新聞」に報じられました。
2014(平成26)年5月18日にはお別れのセレモニーが行われるとのことだったので、急遽当日下諏訪を訪問しました。

記事によると、撤去は大社通りの北側歩道拡張整備事業に伴う用地確保のためとのことで、確かに大社通り北側を眺めてみると、すでにこの一角を除いては建物のセットバックが大半完了しています。
この屯所と火の見やぐらの建造は1925(大正15)年で、当時高さ30メートルだった櫓は県下一の高さを誇っていたそうです。

下諏訪の町並みに溶け込んでいた屯所。
典型的な看板建築ですが、洋風のファサードに和風の黒格子が組み合わさった独特の佇まい。

「下諏訪市民新聞」紙の記事に掲載されていた建造当時の記念写真を見ると、当時の屯所は櫓の直下部分、右手のシャッターがある幅のみだったようで、左側の「第三区事務所」の入口と菅野温泉への通路部分はもともとは平屋の車庫で、後年に二階部分が増築されたようです。

特長のある見張台。
以前から、何故バルコニーの大きさに比べて屋根が一回り小さいのか謎だったのですが、これも今回の一件を通じて理由が推測できました。

地元ケーブルTV局LCVのニュースによると、もともとこの櫓は、30mあったものを後年20mに切り詰めたそうです。
屋根だけが小さいのは、高さを詰めた後も元々の屋根をそのまま流用したのがその理由だったものと思われます。
たしかに「下諏訪町市民新聞」に掲載されていた当時の全景写真をみると、現在よりも高く、屋根は見張台全体を覆う形状になっていました。

高さが詰められたとはいえ、屯所の屋上から20m、地上からの比高でいえば現在でも30m近い非常に高層な櫓なので、踊り場が何箇所も設けられています。
欄干の意匠はそれぞれの段で異なっています。

特に最下段、屯所屋上との取り付け部分の欄干は、鋳造かあるいは切り抜きによる非常に凝ったものになっていました。

5月18日は朝7時から消防団関係者の皆さんが集まり記念撮影。
横断幕に記された「90年の歴史に感謝」という文字がずっしりと心に響きます。

大正年間に建造された鉄骨造の火の見櫓は、石川県金沢市の「浅野川大橋詰の火の見櫓」、京都市伏見区の「竹田の火の見」、岡山県岡山市の「京橋の火の見」のように登録有形文化財に指定されたものもあり、この火の見櫓にもそれに匹敵する文化的価値があるものと思います。

屯所前は多くの観光客が通行する割に歩道が狭隘で危険な箇所となっていたので拡張はやむを得ないかと思いますが、この見事な櫓が撤去されてしまうというのは本当に残念です。
撤去工事は早ければ2014(平成26)年5月末にも開始されるとのこと。

90年にわたり下諏訪の町を見守っていたこの火の見やぐらに、「おつかれさまでした」と労いの言葉を送りたいと思います。

 

最後に思い出として夜景写真を二枚。

 

場所はこちら。

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