枇杷島陸橋

愛知県名古屋市と稲沢市祖父江町とを結ぶ愛知県道67号名古屋祖父江線。
庄内川を枇杷島橋で渡り、名古屋市から西枇杷島町へ入ってすぐのところに、少々幅員の狭いコンクリート製の陸橋があります。
名古屋鉄道本線をオーバーパスする枇杷島陸橋です。

本線車道より側道のほうが明らかに幅が広く見えます。
名古屋市と郊外を結ぶ幹線道路のため、交通量は非常に多くなっています。

突端部分はトラ柄に塗装されたコンクリートブロック。
幅員が狭いので、軽車両だけでなく、小型特殊、原付も通行禁止です。

土木学会図書館蔵の「本邦道路橋輯覧」(内務省土木試験所編)によると、この橋が施工されたのは1934(昭和9)~1935(昭和10)年。鉄筋コンクリート突桁式桁橋及鈑桁橋の二等橋で全長333.6m、全幅6.0m。総工費は82,140円とのこと。
建造時は県道ではなく、東京と石川県金沢とを結ぶ大正国道12号の一部だったため、かなりよい規格で建造されたようです。

桁のデザインに昭和初期を感じることができます。

後の改修で耐震補強が施され、橋脚と桁がワイヤーとアンカーで固定されています。

途中には三箇所、東西を行き来できる通路が設けられています。こちらの通路は高さがやや低め。

名鉄名古屋本線より南側の橋梁下空間は、フェンスで区切られ入ることができず、何も利用されていません。
吸い込まれるようなアーチの連続…。

名鉄を跨ぐ箇所は鋼製桁になっています。
したの線路を名鉄電車がひっきりなしに通過して行きます。

この鋼製桁は、平成に入ってから交通量の増大に伴う荷重の増加に対応するため1991(平成3)年に初代の桁を撤去して新たな桁に架け替える工事が行われています。
そのため、1990(平成2)年の銘板が取り付けられています。

1990年3月
愛知県建造
道示(1980)一等橋
使用鋼材 SM41A.B SS41.
製作 三菱重工業株式会社

このアングルで見ると、ゲルバー桁であることがよくわかります。
桁下の東西通路は二車線で、センターにカラーコーンが並べてあります。

北側の橋梁下は自転車置き場として利用されています。

橋台と桁を繋ぐワイヤーとアンカーがものものしい感じ。

欄干の継ぎ目は鋼管。

微妙に幅員が変わる取り付け部分。

現代の交通事情からするとボトルネックとなってしまっており、朝夕など渋滞がみられる陸橋ではありますが、周囲には住宅が密集しており、また名鉄も早朝から深夜まで相当数の列車が行き交うことから、簡単に拡幅、架け替えができる状態ではないため、しばらくは安泰かと思われます。

昭和初期の面影を色濃く残す陸橋。地味な存在ではありますが、できる限り活躍し続けてほしいものです。

最後に、この橋が架橋された当時の記念絵葉書が土木学会図書館のサイトに掲載されていたのでご紹介いたします。

このページの7~10番が枇杷島陸橋です。
現在はトラ柄の素っ気無いコンクリートブロックだった親柱が建造当時は灯篭のような照明を備えた凝った造りのデザインであったこと、鋼桁の欄干が現行の桁よりも低く中路式であったことなどがうかがえる貴重な資料です。

 

場所はこちら。


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