畑薙大吊橋

大井川水系にはその急峻な地形と土砂崩落の激しさから普通橋の建設が困難で、古くから多くの吊橋が架橋されています。
有名なところでは、中流部にあり大井川鐵道のSL列車を上から眺めることのできる「塩郷の吊橋」、大井川の支流である寸又川に建造された大間ダムのダム湖を渡る寸又峡温泉そば の「夢の吊橋」、そして寸又川の再奥部、逆河内に架橋され、廃墟、廃道ファンであれば一度はその名を聞いたことがあるであろう「夢想吊橋」などがあります。

そんな中で、到達するだけでも一日を要し既に索も破損して渡橋すらできず廃橋となっている夢想吊橋は別として、畑薙大吊橋は比較的延長が長く高さもある迫力のある橋でありながら、アクセスの悪さからあまり脚光を浴びていません。

今回はそんな「畑薙大吊橋」をご紹介いたします。

以前「静岡県道60号 大網トンネル廃道」や「井川大橋 – 三弦橋」でもご紹介した静岡県道60号南アルプス線。
静岡市西部、安倍川の支流である藁科川中流にある葵区昼居渡地区と大井川奥部にある畑薙とを結ぶ主要地方道ですが、基点は市街地に近い昼居渡ではなく畑薙が指定されています。

感覚的には長い山道を走り続けた「終点」に感じられる、「起点」の畑薙第一ダム。
1962(昭和37)年に完成したこのダムは、中空式重力コンクリートダム形式を採用しており、同形式では世界一の堤高125mを誇っています。
発電に使用された水はすぐ下流に設けられた同じく中空式重力コンクリートダムである畑薙第二ダムに貯められ、揚水式発電を実施して水資源を効率的に利用しています。

県道60号は畑薙第一ダムサイトが起点ではなく、堤体上を通り抜けてダム事務所建屋脇から大井川左岸をさらに遡り、東俣林道と接続する沼平ゲートまでがその区間となっています。訪問時はかなり貯水量が低下しており、草木のない湛水線から比べてかなり低い位置までしか水がありませんでした。
湖面を覗き込んでみると、「かつては構造物だった何か」が巨大な塊となって斜面に埋まっているのが見えました。

畑薙第一ダムを畑薙湖側から。
湖面がクレストゲートよりかなり下にあることが分かります。

沼平ゲート。
県道60号の基点であるとともに東俣林道の入口でもあり、林道は危険箇所が多いため、一般車両の通行はここで規制されています。林道を通行する車両は事前に静岡市に許可を取り、このゲートで許可証を提示する必要があります。

私は当然許可を有していないので、登山者用のゲート前の駐車スペースに車を止めて、監視所の方に「畑薙大吊橋まで行ってきます」と申し出ます。
登山の場合は、当然のことながら登山届、下山届を提出することになります。

ここから畑薙大吊橋までは徒歩に頼るしかなく、約2.5km、40分ほどの道のりを歩く必要があります。それだけで考えれば、行程はほぼ全て林道で険しい勾配もなく、ちょっとしたハイキングには丁度良い距離・時間なのですが、いかんせん畑薙第一ダムまで到達するのが一般の観光客にはハードルが高いため、登山客以外には訪れる人が疎らな状態となってしまっているのです。

ゲートには鉄製の門扉の他に、鉄道と同型の遮断機が設けられています。
この日は更に手前の監視所前のロープで閉鎖されていましたが、大雨などで全面的に通行が危険な場合は鉄扉が、工事などがあるときは遮断機が活躍するのでしょう。

県道60号のヘキサ看板。「(主)南アルプス公園線」、「葵区田代」の補助標識の他に、柱の下のほうに地味に「0.0km」と起点を示す距離標が掲示されていました。

沼平ゲートから先は未舗装となります。
30km近く上流の二軒小屋ロッジまでは登山宿泊者送迎バスも通るため、道は比較的広く歩きやすいです。

しばらくはのんびりした林道歩きが続きます。

途中の電柱に、ダムの名の由来ともなっている「畑薙山」の看板が掲げられていました。

その先の見通しのよい場所から対岸を眺めて。
畑薙山です。

「薙」は崩落地名としてよく用いられるもので、この周辺にも青薙山、ボッチ薙などの地名を見ることができますが、畑薙山もその名に違わず大規模に崩落をしており、大量の土砂を畑薙湖へと流入させています。

東俣林道もまた、崩落の多い土地を進路に選んでいることから、定期的な整備は加えられているというものの、このような小崩落も時折見かけられます。

こちらは過去に規模の大きい崩落があったのか、部分的に舗装がされていました。

畑薙山の崩落をみやりつつ更に10分ほど進むと、いよいよ畑薙大吊橋が見えてきました。
肉眼でははっきり見えているのですが、吊橋はあまりに構成材が細いため、このサイズの写真ではどこに橋があるのか全くわかりませんね。中央部の最も川幅が迫った場所に掛けられているのですが…。

なお、右手に見える施設は上流にある赤石発電所の放水口です。

橋の手前で蓬沢という沢を渡ります。
砂防ダムが橋の直ぐ手前に建造されています。場合によっては橋ごと流されるような土石流が発生しても不思議がない立地です。

砂防ダム下を眺めると、案の定撮影地点の足下辺りにあったであろう間知ブロック製の擁壁が、板チョコのようにごっそりと剥がれ落ちています。

先の撮影ポイントを反対側から。
擁壁が剥がれ落ちた状況がよく分かります。

もはや修復してもまた同じ事になるだろう…、と判断されたのか、ガードレールは擁壁が残存する位置より一回り内側に、コンクリート土台を設けて設置されています。

先の「畑薙山」同様、「蓬沢」というポイントを表す標識が電柱に掲示されていました。

こちらの写真でようやく吊橋の姿を認識していただけるでしょうか。
個人的には橋の下が湖水に湛えられているのを期待していたのですが、水位の低下と堆砂の増加の双方が影響してか、水流はごく僅かで広大な河原が広がっています。

いよいよ橋の入口が近づいてきました。ここにはバス待合所のような建物がありました。

実際に先に述べた登山客送迎用バスの時刻表も掲示されていますが、壁の張り紙によると、緊急時の避難小屋としても機能しているようです。

ここから先の登山道を示す案内看板と、「畑薙⇔椹島(さわらじま)」、反対を向いてしまっていますが「茶臼岳」の方向を示す道標と登山カードを入れるケースが常備されています。

ここから先、南アルプスの山々は膨大な広さで広がっています。
沼平ゲートからここまでの間、そこそこ歩いた気になっていましたが、登山という観点からすれば、まだ入口に立ったばかり、といったところなのでしょう。

いよいよ吊橋です。登山道の案内看板と反対側には、「畑薙大吊橋」の看板と、銘板が設置されていました。

「畑薙大吊橋 橋の定員は15人です 気をつけてお渡りください」という看板の横に立てられた銘板による橋のスペックは下記の通りです。

平成元年3月25日
畑薙大吊橋
延長181.7m 巾20cm
施工 三星建設
発注 静岡市

「巾20cm」とさりげなく書いてありますが、20cmというと相当な狭さです。
そして実際の橋を見ても、穴あきのスチール足場を二枚並べたもので、倍以上の幅が確保されています。帰宅後に調べたところ、建造当初の足場は銘板の表示通り木板一枚だったようなのですが、その後スチール足場に変更されたようです。

また、ここは茶臼岳への登山口にもなっているのですが、橋の完成が1989(平成元)年とかなり新しく、それまではどうしていたのかが現地では謎でした。

こちらも帰宅してから調べたところ、正確な事はわかりませんでしたが登山関係の資料を見ていると、1957(昭和32)年に静岡国体が開催された折に、茶臼岳登山道として現在利用されている上河内ルートとは別に、畑薙山を経由する小鳥尾根ルートというのが整備されたそうですが(現在は利用されずほぼ廃道状態)、小鳥尾根ルートの起点として畑薙大吊橋が言及されているので、その時点で既に吊り橋自体は存在していたものと思われます。

ただし、恐らくはこの辺りの吊橋は基本的に簡易な造りであり、旧橋の時代は今以上に構造がシンプルだったものと思われるので、旧橋の痕跡らしきものは見える範囲では確認できませんでした。

橋を渡り始めてみます。比較対象物がないので分かりにくいのですが、現場に立つと相当長いことが実感できます。

当日はやや風の強い日でしたが、耐風索がしっかりしているのか、歩くことでの上下振動はかなりありましたが、風による横揺れはほとんど感じることはありませんでした。

足下はこのような状況です。構造自体は、大井川水系で見られるごく一般的なもので、何本ものワイヤーを横板でつなぎ、その上に足場を載せ、横板数スパンごとに欄干となる柱とそれを支える方杖が設けられたタイプです。
足場は横板との間で針金で固定されているだけで不安を掻き立てられますが、大井川水系の吊橋は、このくらいのことでうろたえていては渡れません。

高さに恐怖感を持たない方であれば、両側に広がる雄大な景色を存分に楽しめると思います。

対岸に到着です。
林道側には主塔がみられませんでしたが、こちらにはH鋼製造の主塔が設けられていました。

そしてその真後ろで存在感を放つアンカーブロック。
こんな華奢にみえる橋でも、181mという延長と荷重、風圧から橋を支えるためには、これだけの構造が必要なのですね。

下山者の方が、私の渡橋完了まで待機して下さっていました。
人が写りこむと、この橋のスケール感がよくご理解いただけるものと思います。

それにしても巨大なコンクリートの塊。岩盤の下はどのくらいまで基礎が設けられているのでしょうか。

アンカーブロックの上から主塔を眺めてみました。

こちら側にも「畑薙大吊橋」の看板が立てられていました。
欄干の部分にホタルブクロが咲いていました。

吊橋の命綱、主索。
この部分だけ見ていると、やや心許なく見えなくもないのですが、背後に控えるアンカーブロックが、がっちりと主索の荷重を受け持っているです。

それでは帰路につくことにしましょう。

林道側には主塔は見えず、緑が生い茂っていたのでアンカーブロック部分がどのようになっているのか判別できませんでした。

林道からかなりの高低差があり、登れそうな場所はありましたがボロボロと崩れそうな地質だったので、林道側のアンカーブロックの探索は断念しました。

最後にGoProを装着して渡橋した動画を撮影したので、雰囲気だけでもお楽しみください。

畑薙第一ダムまでの道のりは決して楽なものではありませんが、近隣にはつるつるした肌触りで硫黄の香り漂う温泉、南アルプス赤石温泉白樺荘という施設もありますし、井川の町では井川ダムや観光遊覧船、車で渡れる三弦吊橋井川大橋、井川大仏などの見どころもありますので、是非一度訪問されることをおすすめいたします。

 

場所はこちら