国道8号 阿曽隧道廃道

国道8号を走っていると、敦賀と杉津の間でロックシェッドの隙間からちらりと隧道が見えるのがいつも気になっていました。
阿曽隧道。明治9年に、当時の敦賀県により東浦道と呼ばれる敦賀と福井を結ぶ道として計画され、当初は人道として開鑿された後に、明治19年に車道として拡幅整備されたという歴史をもつ由緒正しき明治道です。

前後は険しい崖地のため、現道である国道8号も、この前後の区間は長いロックシェッドとトンネルで結ばれています。そのため車で訪問すると近くに駐車できるスペースがないため、今回は南方にある駐車帯から徒歩で隧道を目指しました。

基本的に徒歩による通行は考慮されていない幅員のうえに、北陸と関西を結ぶ主要幹線国道なので大型車両をはじめとして交通量も非常に多く、徒歩での移動は大変危険で何度もヒヤヒヤしました。

ロックシェッド部はさらに圧迫感があり、歩行者がいることで車の運行に支障をきたしてもいけないので、シェッドの外側を歩きました。車と接触する心配はありませんが、外側は外側で斜面を転落しそうになって怖いです。

しばらく進むと、現道は岬にまっすぐ突っ込んでゆきますが、その傍らにはいかにも、といった感じで廃道の平場が見えてきます。

現道の黒崎隧道手前から分岐する廃道。接続部分はコンクリートブロックに遮られているので、四輪の車両が入ることはできません。

シェッドから分岐すると、比較的幅の広い平場になっています。

振り返って。分岐地点から南方のロックシェッド沿いには、柵があることから分かるように歩道のようなものが造作されているのですが、数十メートルくらいで途切れてしまっているのです。
この歩道さえ繋がっていれば、格段に安全に到達することができるのですが…。

急斜面に石垣を築いていました。石垣と駒止めの組み合わせに思わず頬がほころびます。

道がカーブを描くあたりにはなぞの作業小屋。

小屋を越えると崖が崩落しており、路盤の大半を落石が覆い尽くしています。
そして落石越しにちらりとのぞく坑門。

石組みの立派な坑門です。手前も崩落しており、坑口は半分ほど埋まってしまっています。

楕円形の断面。緻密な石組みに明治の匠の技術を感じます。右半分を覆う土砂を取り除いて全貌を眺めたい…。

立派なキーストーン。

坑口に土砂が流入している以外は良好な状態を維持しているようです。

それにしても惚れ惚れする石組み。花崗岩でしょうか。なだらかな曲線がとても美しいですね。

流入している土砂は安定していますが、このままではいつ埋没するかも分からないので心配です。

石造アーチは坑口付近のみで、内部は素掘りです。

内部の幅員は坑口に比べていくらか広いのですが、いかんせん凹凸が激しく、視覚的にはあまり広さは感じることができません。

光の加減で陰影がきつくついていますが、なかなか見事な光景です。

出口が近づいてきました。こちらも卵型っぽい楕円形の断面です。

北側坑口。路肩はそのまま崖になっています。よくぞこのような場所にポータルを構築したものです。

ピラスターといっていいのでしょうか、崖側の柱は壁面と少し丸みのある岩が用いられています。

崖まっしぐら。

ちょつと引いて見てみましょう。ほんとうに崖と同化しています。

北側の取り付け部分は、南側とは異なり完全にロックシェッドで遮断されていて、徒歩以外では平場へアプローチすることはできません。

たまに通る道で前から気になっていた隧道なので、とくにこれといった下調べもせずに訪問したのですが、実はこの先北側へ少し行ったロックシェッドの隙間に、明治の本道開鑿時に事故で罹災した方を慰霊する石碑が設けられていたのだとか。知っていれば訪問したのに…。
またこの道を歩くのは少々気がひけますが、いずれ慰霊碑にも訪問してみたいと思います。

 

場所はこちら。


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