愛知県北設楽郡設楽町道133号竹桑田清崎呼間線 その1

愛知県北設楽郡設楽町道133号竹桑田清崎呼間線」。
その名前だけを聞くと、ごくありふれた長閑な山間の生活道路、あるいは山奥の集落へ向かう狭い山道といった風景が思い浮かぶでしょう。ところが、この町道は実はちょっとした曲者なのです。

私とこの町道との出会いは偶然でした。設楽町の東方に位置する東栄町へ廃道を探索しに行く道すがら、国道257号と県道389号富栄設楽線の交わる田峯(だみね)交差点に隣接する新段嶺(だんれい)トンネルの傍らに旧隧道を見つけました。
「段嶺隧道」と名づけられたその隧道は、その名の通り新段嶺トンネルの旧道にあたり、その佇まいから改良による廃道だと思い立ち寄ってみました。

ところがその道は廃道ではなく、「町道133号竹桑田清崎呼間線」と記された標識が掲げられており、現役の町道であることが分かりました。
その時は特に気に留めることも無く、距離が短いこともあって、新段嶺トンネルの開通によって国道の一線を退いた、やや荒廃した町道のつもりで隧道の前後を歩くに留めました。

しかし、よくよく考えてみると、この町道の名称は「竹桑田清崎呼間線」であり、田峯から更に北へ2kmほど先の呼間地区まで続いていることになります。
ところが地形図を見ても、呼間地区へ向かう道は国道257号しか描かれておらず、あとは対岸に途中で切れた軽車道が一本描画されているのみ。そこで「町道は一体どこへ?」と俄然興味が湧いてきました。

 
国土地理院 地理院地図より引用

帰宅後、色々と資料を調べたり設楽町へ問い合わせを行い、同町から町道の道路台帳を取り寄せてみると、実はこの町道のルートが非常に興味深いものであることが分かりました。

今回はこの曲者町道をご紹介いたします。

設楽町から取り寄せた道路台帳によると、町道は新段嶺トンネルと旧道の分岐点を起点としていました。「竹桑田」は新段嶺トンネルのある田峯交差点を含む一帯の地名です。
二車線で快適に整備された国道の傍らから、寒狭川(豊川)に寄り添ってひっそりと分岐しています。

車止めのアーチで区切られたその入口から町道を新段嶺トンネル坑口の擁壁に沿って進んでゆくと、すぐに町道は草に覆われて現役とは思えない廃道然とした光景になります。

そこから数十メートル進むと、この道が決して廃道ではなく現役の町道である証が現れます。設楽町が町内の町道にくまなく設置している、県道の八角形の標識を模した町道標識です。

しかし周囲は舗装されているものの相変わらず草に覆われており、標識を隠して「廃道の写真です」と言えば、誰もが信じてしまうような状態です。

標識の辺りから、新段嶺トンネルに占拠されて狭くなっていた山側が本来の幅員を取り戻し、やや狭めの片側一車線の道となります。町道標識のそばには「釣り場入口」という看板があり、並行する寒狭川へ下りる道もついているので、釣り人などはこの道を利用しているのでしょうが、途中には落石なども見られ、やはり現役道ながら廃道の雰囲気を感じずにはいられません。

しばらく川沿いの枯れ葉や枯れ草に覆われた寂しげな道を歩いてゆくと、隧道の坑口が見えてきます。段嶺隧道です。

段嶺隧道は、平成16年度道路施設現況調査(2005年 国土交通省道路局企画課調査統計係)によると、1932(昭和7)年開通、延長53m、道路幅員7.5m、車線幅員6.5m。愛知県内にある同年代に開削された他の隧道が5~6m程度の幅員であるのに対し、かなり広くなっています。

隧道を抜けると、坑口脇にはこの隧道が現役町道であることを誇示するかのように、町道標識が建植されています。

前を走る愛知県道389号富栄設楽線との間はガードレールで区切られ、ちょっとした広場になっており、地元の名士を顕彰する石碑も建てられています。

田峯交差点の信号を渡り、前を走る道路の反対側へ行くと、新旧段嶺トンネルを一望することができます。

余談ですが、設楽町では段嶺隧道をイベントなどに貸し出しており、事前に町役場へ申請することで、トンネルを借り切ることができます。

(つづく)